『子供の科学』創刊100周年メッセージ★白井 昭さん「『こんな雑誌はなかった』と興奮し、夢中になりました 」

1924(大正13)年の創刊から100年間、科学への好奇心あふれる子供たちを応援し続けてきた雑誌『子供の科学』。誌面に載っている最先端の科学の話や、驚きの実験、おもしろい仕掛けの工作などにワクワクして育った読者から、ノーベル賞受賞者をはじめとした大発見をする研究者、画期的な発明をする開発者たちが生まれました。 そんな『子供の科学』を読んで育った読者からメッセージをいただいています。

白井 昭(しらい・あきら)
1927年生まれ、愛知県出身。鉄道技術者、元大井川鐡道副社長。1948年に名古屋鉄道入社。1961年に登場した日本初の前面展望車「パノラマカー」をはじめ、「犬山モノレール」(1962年)や「東京モノレール」(1964年)など画期的なプロジェクトに携わる。1969年に大井川鐡道へ出向し、SLの動態保存などに従事。

──『子供の科学』はいつごろ読まれていましたか? また、出会いの経緯を教えてください。

 出会いの記憶はあいまいです。しかし、1932〜33年ごろの記事を読んだ記憶が残っており(1927年生まれの私が5〜6歳のころ)、愛知県豊橋市で養蚕農家を営んでいた祖父が買い与えてくれたのかもしれません。

 それまでの絵本や童話とは違っており、「こんな雑誌はなかった」と興奮し、夢中になりました。1935年、尋常小学校3年生のときには、毎月の発売日が楽しみで、豊橋駅近くの書店まで自転車で買いに走りました。そのついでに駅に寄って大好きな明治時代の蒸気機関車「B6」が貨車を入換するのを、飽きずにずっと眺めていたのです。

──『子供の科学』のどんな特集に興味があったか、思い出に残っている記事などがあれば教えてください。

 幼い私をとりこにしたのは、オーギュスト・ピカール博士の冒険を報じる記事でした。博士は、人類で初めて気球に乗って成層圏まで達し、また、バチスカーフと呼ばれる潜水艇で深海に潜りました。「これからは成層圏の時代だ」という博士のメッセージに、未知の世界を想像して興奮したものです。

1933年7月号に掲載された「成層圏征服」。
1938年3月号に掲載された「ピカール博士の新探検」。

 当時は国家が奨励していたこともあり、模型飛行機づくりが流行しました。『子科』の製作記事を読んで、バランスを考えて組み立て精度を高めてつくった私の飛行機は、級友の中でいつも一番、遠くまでよく飛びました。

 旧制豊橋中学に入学した1941年に、太平洋戦争が始まりました。戦況はしだいに悪化し、3年生のとき、私は学徒動員で四式戦闘機「疾風」の部品をつくる軍需工場に配属されました。旋盤を操って、主脚の油圧部品を100分の3mmレベルの精度で削り出すことができるのが私の自慢でした。これには模型飛行機づくりの経験が役に立ったと思います。

──子供時代に育んだ科学への興味は現在のお仕事や活動、考え方等につながっていますか? どんなつながりや影響があるか教えてください。

 終戦直前の1945年4月、私は名古屋工業専門学校(現在の名古屋工業大学)に入学して機械工学科でボイラーを専攻しました。大好きな蒸気機関車の仕事をしたかったからです。しかし戦後、電気機関車やディーゼル機関車による電化・無煙化などが急ピッチで進み、鉄道は急速に近代化しました。学校を卒業して就職した名古屋鉄道で、私は社内教習所の教師として電車の構造を教え、さらに、乗客が最前部に乗って前面展望を楽しめる7000形電車「パノラマカー」開発の責任者として、「それまで、誰も見たことのない電車をつくる」経験をしました(1961年デビュー)。その後も、犬山モノレール(1962年、現在は廃止)、東京モノレールの車両開発(1964年)など、当時の最先端の乗り物に関わってきました。

1963年4月号より「これは快適だ‼ モノレール」。
左下の画像が犬山モノレール。

 転機は1969年に訪れました。名鉄から大井川鐡道に出向し、旅客や貨物が急に減って廃線の危機にあった鉄道を救う方法を考えることになりました。お客を呼ぶひとつの手段として始めたのが蒸気機関車の保存運転です。最初に手がけたのが、子供のころ親しんだ「B6」だったのは運命でした。鉄道発祥の地イギリスの保存鉄道を訪ねて参考にし、SL列車は半世紀以上にわたって会社を支える収入源となっています。

1977年7月号では、大井川鐡道で開かれたSL録音会の様子を取材。
これも、白井さんの活動があってこそ。
白井さんが子供のころ親しみ、大井川鐡道で保存を手掛けた「B6」2109号は、現在日本工業大学で動態保存が続けられている(不定期に公開)。
【画像提供/高瀬文人】

 ボイラーは200年前のイギリスで生まれ、産業革命の立役者となりました。それまで動力は、水車などの自然エネルギーや人力、家畜の力しかなかったのが、ボイラーの発明で、どこでも必要な動力を得られるようになりました。ボイラーの出力を弁装置とシリンダーによって車輪の回転に変換した蒸気機関車は、人やモノの流れを大きく太くし、経済を成長させる原動力となりました。科学が人々の生活を変え、社会を発展させてきました。歴史がつくった「貴重品」、それが蒸気機関車です。生きた状態で残していきたいと思います。

──『子供の科学』100周年に寄せてコメントをお願いします。

 実は、『子科』がまだ続いているとは知らず、とても嬉しく思いました。

 戦争中には「科学する心」という言葉がよく使われました。これは子供たちを兵士や軍需産業従事者として戦争に動員するためにつくられた言葉だといいます。戦時中の『子科』には、実はこの言葉はほとんど出てこなかったと聞きましたが、私は、言葉の意味すること自体はそう悪いものではないと思うのです。私が読んでいた創刊間もないころの『子科』は、まさに私たちに「科学する心」の素晴らしさ、面白さを教えてくれました。

──今の『子供の科学』の読者たちにメッセージをお願いします。

 私は、子供たちに「真理に沿う心」をもって生きてほしいと思っています。いま、ネットにはデタラメや好き勝手な言葉があふれて、たとえ正しくないことでも、社会的な力をもつような世の中になりました。しかし、科学や物理の法則が導き出すことはひとつです。それを解明し、導き出された真理——正しさを大切にし、正しいと思ったこと、やりたいと思ったことをやる大人に育ってほしいと思うのです。

 そして、ぜひ、大井川鐡道にもきて、「生きている」本物の蒸気機関車を見て、そして乗ってみてください。

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