《連載ドクターズ・リレー》2022年5月号 – 大城和恵先生に聞く「山岳医」のおしごと

さまざまな分野で活躍する医師に、お仕事の内容や魅力を語ってもらう連載「ドクターズ・リレー」。子供の科学2022年5月号では、日本人として初めて国際山岳医の資格を取得し、日々活躍を続けている山岳医療救助機構の大城和恵先生に取材。山岳医のおしごとや、医学の道に進んだきっかけ、子供時代のお話などを紹介しました。ここでは、誌面で紹介しきれなかったインタビューの続きをお届けします。

大城和恵
医師、医学博士。長野県出身。2010年に日本人として初の国際山岳医の資格を取得。病院に勤務するかたわら、警察や消防の山岳救助隊に応急処置の訓練を行ったり、救助プログラムを提供したりしている。キリマンジャロ、マッターホルン、デナリ、エベレストなど世界各地の高山に登頂。実体験や調査から得た知識を体系化し、より安全な登山や救助を広める活動をしている。

体で覚える危機管理の大切さ

──子供時代にやっておくとよいことはありますか?

 ヨーロッパなどへ行くと、3歳や5歳くらいからクライミングをやるんです。ハーネス(高い所から落ちるのを防ぐために体につける器具)や安全な腰ひものようなものをつけてやるのですが、こういったことを経験しておくと、リスクを回避するにはどうしたらいいかということを体で覚えることができると思います。

 これを大人になってからやる場合、まずは理屈から入ることが多いでしょう。その点、小さいときから体で学ぶリスクマネジメントはとても大事で、大人になってから理解するのとは全然違います。小さなときから、大人が用意した安全の中でやるのではなく、自分の中で危険をどう回避するかを体験するというのはすごく大事ですね。自然の中で体験をたくさん積むと、リスクマネジメントに対する想像力がすごく豊かになると思います。

──これまでに山で体験した危険なことはありますか?

 自分自身が経験した事故でいいますと、以前フランスとイタリアの間にある山の岩壁にクライミングに行ったときです。朝方でとても静かだったんですが、ヒューッとすごい音がして、大きな岩が時速100km以上で落ちてきました。そのときは左右どちらに逃げてよいかわからずに、とっさに勘だけで逃げたところ、幸い体には岩が当たらなかったのですが、荷物やロープはすべて岩が持っていってしまいました。

フランスの山で氷や岩の壁を登る「ミックスクライミング」の様子。

 他にも、アラスカ州のデナリでスキーをしているときに、滑落(すべり落ちること)してしまったことがあります。立とうとしても、スキー板の金具が腰のハーネスに引っかかって動けなくなってしまったのです。どこまで落ちていくかわからなかったのですが、クレバス(氷の割れ目)があると危ないので、クレバスに対してスキー板が平行にならないように全身でブレーキをかけ、起伏がゆるくなった所で何とか停止できたという出来事も経験しました。

──登山隊に付き添うこともあるそうですが、たいへんなことはありますか?

 医師として自分が登山隊についていくときは、基本的には予防を大事にしています。ただ、遠征で難しいのは、医師が体調のことを考えて指示したとしても、最終的に山に登るか下るかを判断するのは隊の隊長だということです。医師が危ないと思っていても隊長が大丈夫だと思えば、進む判断を下すこともあります。実際に、「この人はちょっと登れなさそうだな」、「危ないかもしれない」と感じた人が、登山の途中で気を失ってしまうこともありました。

ヒマラヤ遠征隊に医師として付き添い、エベレスト登頂も果たした大城医師。

要注意!! 山で気をつけたい症状とは

──山岳医として、山を登るときに気をつけてほしいことはありますか?

 日本の山岳遭難では、中高年の死亡が多くて、その原因で一番多いのが外傷(けが)です。二番目が低体温症、三番目が心臓死となります。特に私は心臓病の病院に勤めているので、山での心臓死を何とか減らしたいと思っています。それから、高所に行く人に歩くペースの指導をします。小学生くらいの子が山を登るとき、元気だからといって走ることがありますが、速いペースで登ると具合が悪くなることがあるので、ゆっくりゆっくり登ることが大切です。また、高い所で酸素が薄くなってくると、呼吸が多くなります。そうすると、息に含まれる水分が体の外に出てしまい、脱水症状になりやすくなります。そのため、水分をしっかりとることが大事です。

 高山病や脱水に比べて気づきにくく、より注意しなくてはならないのが低体温症です。標高が上がると寒くなっていきますが、それに合わせてちゃんと食べていないと、どんどん体温が下がります。山を登って動いているときは寒いと感じなくても、立ち止まったときに体温が下がっていることは多いです。

実際に診察を受けに来られた方の中には、低体温症に気づかずに、高山病だと判断して酸素を吸わせたり、脱水症状かと思って水を飲ませたりしても体調がよくならないといって来た方がいました。そのときは湯たんぽを抱かせたところ、劇的に回復しました。

 高い山は、酸素が薄いのと気温が低いのがセットになっています。酸素が薄いことを意識する人は多いのですが、気温が低いことを意識しない人が多いので、よく注意してほしいです。また、山では急に天候が悪くなり、雲の中に入ってしまって寒くなることもあります。山のふもとの登山口では晴れていても、山の上はまったく違うといったこともあるのです。

 寒さによる障害には、凍傷もあります。凍傷は、そんなにひどくなければ、温めればよくなりますが、感覚がなくなった後、血液が戻ってくるときに激痛がともないます。自分で実際に体験したことですが、手の指が軽い凍傷になったときに、手を高く上げれば血液が流れにくくなって痛みは治まります。手をゆっくり下ろすといいのです。私は、こうしたことを−30℃や−40℃といった気温の中で、自分で体験して学んできました。

富士山の衛生センターで患者をみる様子。

──脱水症状や低体温症などの初期症状はどういったものなのですか? また、どうしたらそれらを防ぐことができるでしょうか。

 脱水症状の場合、いつもよりおしっこをする回数が少なければ気にした方がいいでしょう。水を飲んでいるのにおしっこが少ないというのはよくない兆候ですね。山ではトイレが少ないので、トイレに行きたくないから水を飲まないという人もいますが、それも脱水の原因になります。水をしっかり飲んで、ちゃんとおしっこをするということが大事です。

 朝から登山をする人が多いですが、夜寝ているときは水分をとらないため、朝方はたいてい脱水気味になっています。また、車で移動するときなどに、車酔いのせいで飲んだり食べたりできないという人もいます。そうすると、登り始める時点でかなり脱水になっています。どれくらい水を飲めばいいかは体の大きさによって違うので、目安をお伝えするのが難しいのですが、おしっこが出ているかどうかが大事です。朝起きたとき、山に登る前におしっこに行くとよいでしょう。

 低体温症は特に「気づきにくい」というのが一番難しいポイントです。寒くなると体が震えることがありますが、子供をはじめ筋肉量が少ない人は、震えがはっきりしません。この低体温症を予防するためには、こまめに食事をとるのがよい方法です。食べることでエネルギーをつくって体温が上がるので、きちんと食べるということがすごく大事です。 けがの場合は、いつどうして起こったか、始まりがわかりやすいと思いますが、低体温症はいつ始まったかがわかりにくいのです。そして症状が進むと判断力が落ちてしまい、自分では対応できなくなってしまうこともあります。夏でも、汗や雨で濡れっぱなしになると、低体温症になることがあります。そのため、登山中に服が濡れたら着替えてしまうか、必ずカッパなどの雨具を持っていき、濡れないようにすることが大切です。

めざせ国際山岳医!! 山岳医療の未来

──現在、山岳医療が最も進んでいる国や地域、研究機関はどこですか?

 去年、イタリアのユーラック(Eurac)という研究機関にすごくおもしろい研究所がつくられました。その新しい研究施設では、標高でいうと富士山と同じくらいまで、気温や気圧、酸素量を下げることができ、風も吹かせることができるなど、山のような環境をつくることができるのです。

 山の医療では、例えば高血圧のように何百人、何千人ものデータを同じ条件で集めることができません。そのため、数少ない人のデータを使ったり、いろいろな研究を集めて1つのデータにしたりしていて、再現性がなかったりするのです。それが、山の環境を再現できるラボができたことで、研究が進んでいく可能性があります。

 こうした研究は世界中でできるわけではないので、世界の人々が協力して症例を集め、データをつくる活動もしています。ただし、山岳医療や山岳救助というものは、地域によって考え方や手法が大きく違います。ヨーロッパでは、小さい国がたくさんあるため、救助現場にすぐヘリコプターで向かうことができ、病院へ運べます。逆に北アメリカなどは広すぎて、ヘリコプターですぐに救助に向かうことができるのは、全体の3分の1くらいの地域しかありません。そうした所では、ファーストエイド(救助隊や医師が到着するまでに、けがした人や急病人を助けるためにとる応急処置などの行動)が発展して、自分たちでできることは何でもやるという傾向が強いです。

 このように、山岳医療は地理的、社会的な背景があって、必ずしも他の国や地域と同じようにはできないのです。いろいろな国に行って、いろいろなやり方を学んでも、日本では同じようにできないこともあります。外国で学んだやり方は、日本の風土や医療に合わせて少し変え、取り入れなくてはいけません。

──現在どんな研究をしていますか? また将来的にはどんなことをしたいですか?

 今研究していることの1つは、低体温症です。低体温症の救助では、基本的にすぐに病院へ運ぶことが多いのですが、運ばずに行う処置に取り組んでいます。天候が悪く吹雪いている場合、患者をヘリで運ぶことができませんが、運べないからといって助からないかというと、必ずしもそうとは限りません。現に、これまで私たちは低体温症の人を助けてきました。運べない人をどう処置したらよいのか、さまざまなデータをもとに論文を書こうと思っています。後は、心臓突然死が山の中の死因第3位なのですが、どういう人が心臓死を起こしやすいかという特徴を調べたいと思っています。登山外来というものを開いて患者さんを集め、心臓検診などを行って調査をしています。この2つが特に重点的に取り組んでいることです。

 山を登る人も、救助隊などの助ける人も、安全でいてほしいと思っています。そのためにやりたいことはいっぱいあるのですが、山の医療を科学として、きちんとした学問を構築して、次の世代へ残していきたいです。

 山の医療は、医師だけが知っていたとしても、その医師が助けられる人は1人か2人しかいません。しかし、登山者や救助隊の人に山の医療を知ってもらうことができれば、もっと効果的に多くの人を助けられると思います。つまり、山で医療を実践するのは医療者ではなく、山に登るその人自身ということです。

 そのため、医療をもっとわかりやすく、みなさんの身近な所で行えるような医療にしたいと思っています。そうした医療は、例えば災害や普段の日常で使える技能にもなります。学問を構築するのは我々医療者であっても、その医療を実践するのはみなさんですよ、という状態を目指しています。

登山中の捻挫を予防するため、山岳パトロールの一環で、登山者に足首のテーピングを行っている様子。

原口結(ハユマ) 著者の記事一覧

編集者、ライター。児童書、図鑑、学習教材などを中心とした書籍の企画・編集、取材、DTPを行う。子供の科学サイエンスブックスNEXT『科学捜査』、『単位と記号 パーフェクトガイド』(いずれも誠文堂新光社)などを手がける。

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