《3・11みんなの体験談》編集部タケモ編

 2011年3月11日14時16分。タケモはそのとき勤めていた会社で仕事をしている最中でした。タケモがいたのは7階のフロアだったので、大きく揺れてフロア中が騒然としました。本が落ちてこないように本棚を抑える人、机からパソコンの本体が落ちて慌てる人、みんな仕事どころではなくなりました。

大通りをたくさんの人と歩く

 しばらくして、その日は帰宅してもいいし、会社にそのまま残っていてもいいとのことになりました。でも、いつも使っている鉄道路線は止まっています。調べてみると、会社からタケモの自宅まで、だいたい10㎞程度だったので、歩いて帰ることにしました。

 スマートフォンのマップアプリを頼りつつ、なるべく大きな通りの方は安全かと思い、靖国通りを歩くことにしました。

 同じことを考えている人がたくさんいたようで、靖国通りはたくさんの人が歩いていました。ヘルメットをかぶっている人もいて、そういえば上から何かが落ちてきたら困るなあと思いながら、それでももくもくと歩くしかありませんでした。遠いとか疲れたと思うより、不安の方がいっぱいでした。

震災当日の電話連絡の大変さ

 携帯電話がつながらないという話を聞いていたのですが、タケモがその時使っていたのはPHSで、両親もPHSだったので連絡を取ることができました。

 通り沿いにあるお店では、固定電話を貸し出しているところもあって、たくさんの人が集まっていました。携帯電話が普及して、公衆電話が減りましたが、こんなときに公衆電話がないことが影響するんだと印象に残りました。

 今ではPHSも停波となり使えなくなりましたが、災害が起こったときに一般の人が使える通信手段の確認は必要ですね。

散らかった部屋と、止まっていたガス

 自宅に着いたのは夜の10時30分ごろ。だいたい5時間くらい歩いていました。停電はしておらず、部屋の灯りやエアコンをつけることができてちょっとほっとしました。

 部屋は本棚から本がなだれ落ちていて、足の踏み場がありませんでした。とりあえず寝る場所を確保する必要があったので、夜中でしたが本を片付けました。

 電気はつきましたが、ガスが止まっていたのでお湯が出ませんでした。ガスの元栓を確認したくても暗くてできず、下手に触るわけにもいかなかったので、その日はお湯をあきらめることにしました。

 地震などの災害が起きると、今まで当たり前に使えたものが使えなくなる場合もあります。それまで避難グッズや保存できる水、食料を準備してこなかったので、それ以来備えるようにしています。長期保存の出来る食料はいろいろあって、選ぶのがちょっと楽しくなりました。 この機会に、水や食料の賞味期限を確認したり、道具の確認をしてみるのもいいかもしれませんね。

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