『子供の科学2025年6月号』の「ヘルドクターくられ先生のあやしい科学を疑え!」は読んでくれたかな? 本誌では収まりきらなかった、くられ先生の頭の中の徒然考えているお話を、コカネット限定で配信中! 本誌の連載とあわせて楽しんでね。
イラスト/obak(@oobakk)
ブランド狂騒曲
さてさて、本誌では、ブランドって何を担保に値打ちが付いてるの? という話をしましたが、本来は、素材や品質、デザイン、手間が協奏曲となっていたブランドの中には、自分のブランドに酔ってしまって狂騒曲となっているところもあるよねという話もあるので、地道な積み重ねは大事だねって話だったわけです。
それは人間のブランドとも呼べる「知名度」なんかも最たるものでしょう。
最初は謙虚に活動をして積み重ねをしていたのに、やがて、有名になったあとは努力や研鑽を怠り、さらに自分がえらいと勘違いして、チグハグな発現をしたり、的外れな行動をして総スカンをくらって炎上したりと……思いつく人もいるかと思います。
いってて自分も耳が痛いのですが、それだけブランディングというのは、本来は難しく、積み重ねていくと、積み重ねた高さの分だけ責任も生じるというのが世の中だからです。
自らのブランドを狂騒曲に陥れないために、常に自分の襟を正して、市場の声という伴奏を丁寧に聴く努力を怠ってはいけないわけで。
ブランドの価値を「自己満足な独奏」ではなく、「心地よい調和のとれた協奏」に、維持し続けることがブランドではいないのかな……と思う次第です。
もちろん、自分がこう思っているだけなので、実際はそうじゃない、独奏こそがブランドなんだ! って考えもあると思うので、それはもう1つの意見としてというだけなんですが。
ブランドになるには?
さて、一応自分は科学のキューレーターとしては、それなりのブランド評価をいただいているように思います。あとマッドサイエンティストという意味合いではかなりブランドがあるんじゃないでしょうか(笑)
マッドサイエンティストってのは本来、卑称であって、なんの自慢にもなりませんが、まぁ、「くられ先生がいってるから」とちょっと耳を傾けてくる人がいる……ってのは、まぁ1つのブランドといっても過言ではないかなと。
……まぁ、自分自信でブランドです! というのは自称天才くらいに痛い発言なので、いってて辛いのですが、そうじゃないとこの先の話が続かないので、優しく無視して読み進めてください。
あ、そうそう、その石を地面において……。すぐに石を投げない……えらいぞぉ……。
さて、自分のブランディングというのは、自分の得意を見つけたあとの話になります。
将棋や野球といった、結果こそすべての世界では、とにかく優勝しまくり、好成績を出しまくることが「自己ブランド」化につながるわけで、大谷翔平選手や、藤井聡太竜王は、いわずもがな、実力=ブランドとなった人でしょう。いわゆる品質一本勝負で最強という分かりやすいブランドです。
しかし多くのブランドというのは、さまざまな側面を合わせた協奏曲のようなものです。例えば、プロゲーマーとかは、若干その傾向があるでしょう。
プロゲーマーは大会で優勝することはもちろん重要ではありますが、それ以上にトーク力や、その人の実況を見ていて楽しいといった、ゲーム実力以外の実力が伴っていなければ「人気者」にはなれないですよね?
自分の得意を見つけて磨いていくと、同じように自分の得意を見つけ、磨いている人とのバトルになります。当然上位は実力が拮抗しますから、他の価値を持っていると、その価値により本人の知名度が上がるわけです。分かりやすい例だと、すごい美女とかイケメンとか、分かりやすいですが、見た目もすごいのに、腕もいいとかはちやほやされるのはわかりますよね。
見た目なんて生まれつきなんだから卑怯だという人もいるかもしれませんが、実は努力できるかどうか、勉強を長く出来るかどうか、そもそもの記憶力の善し悪しだって、遺伝子レベルで決まってしまうというのが近年の研究で分かっています。
努力して成功した人からすれば、努力する才能があったから努力が実を結んで成功したんだよ……というのはどうにも理解しがたいですが、まぁそういうもんなんだから仕方ない。
その代わり人には、まったくなんの可能性もない人というのもそうそういません。だからこそ、自分の得意を見つけることが重要なんです。そしてそれは若いうちに見つけないと、歳を取るとその才能は開花する前、磨ききる前に腐ってしまうこともあります。
若い間はいろいろなことにチャレンジして、自分の得意を見つけること、そして磨く準備をしておくことがすっげー大事だと自分は考えます。
ブランドをつくっていく方法
ブランドというのは、ソレを評価する人がいて始めてブランドとして成立します。
どんな凄まじい天才だとしても、人類が他にいなければ、その人が天才かどうかは分からないのです。結局は「評価」というのは、多くの人の無意識の投票みたいなもんなので、「いいね!」の人もいれば「よくない」という人さまざまです。万人より愛されるというのは無理です。
それはネットで大谷翔平選手や、藤井聡太竜王にさえアンチがいるというので、無理であることがわかります。歴史上の偉人であってもそうですし、誰彼構わず八方美人であることは、逆にいえばブランドにはなり得ないわけです。
愛されること、信用されることは重要だけど、天下無敵の好感、四海兄弟の人望を得ることは、人間が多様性の塊であるから不可能なのです。
つまり、市場は混沌であるが故、多様なブランドが存在可能なわけです。
なので、市場を分析し、その分析にあった行動をする。その行動は予測の範囲内を8割とし、2割は、その先に進むことに使う。
……理想論ですが。
この分析は一番大事なのですが、それはブランドたる本人にしか見えないものなので、それを見失わず、自分で道をつくり歩いて行くのは、本当に難しいわけです。
自分も書いていて、本当に自分の道を進んで行けているのか不安になってきました……。


文
